人と街とモノをツナゲル つながる図鑑

ひとの想い

【Agene Dogena】彫金師/木村博。客の希望に絶対の自信と技術で応える男の「つくる心」

県外の人に久留米を紹介するときに、久留米に住むみなさんはどう説明するだろうか?
久留米ラーメン?焼き鳥?出身芸能人の多い町?いや、やんちゃな人が多い?

みなさんは本当は気づいているのではないだろうか。
私たちの住む久留米はそんな情報だけでは、説明し足りないくらいいろんな側面を持っているってことを。

さて、そんな今の久留米を、ある意味正しく伝える雑誌がある。筑後地域文化誌『Agene Dogena』。誰も語ったことのない久留米の姿がありありと描かれている。

久留米や筑後を愛する県外の人に、これからの世に残すべき今と、筑後にある豊かな文化を伝える、あげなどげな。

つながる図鑑では久留米や筑後の文化発信を行う「Agene Dogena」の活動を勝手に応援。「Agene Dogena」編集長の武藤さんに交渉し、特別に許可をいただきました。最新号のシリーズ連載、匠の現場から一部とちょっと加筆し、公開します。


(「Agene Dogena」2018年春号 第12号 P20〜P21) 

シリーズ連載 匠の現場

彫金師 木村博(70)


やすりがけする彫金師の木村博さん70歳。老眼で目が若干悪くなったが、拡大鏡で細工はこなせる。まだまだ現役。拡大鏡で細工はこなせる、磨り減った作業台も40年を超えた。

今は稀少となった、町の彫金師という仕事。

昔からあった時計店や宝飾店が、町からゆっくりと消えていっています。時代は変わった。「宝飾品」を着けなくなった。「宝飾品」の必要性は薄くなった。はたして、それは本当でしょうか?現在も「宝飾品」を細工している彫金師の視点から、もう一度、物を大事に使っていく文化と、手仕事の生み出す可能性を取材しました。

「従来の卸(時計店や宝飾店)から
の注文が減り、以前発注してくれたお客様やその紹介といった個人の依頼が増えました」。久留米市野中町で「ジュエル・オリジナル・クラフト・キムラ」を開く彫金師・木村博さん(70歳)はこう話します。彫金師とは、金やプラチナといった貴金属を指輪やネックレスといった宝飾品に加工していく技術者。繊細かつ丈夫な宝飾品の製作を、デザイン・溶解分析・地金作成・鍛金・組立まで、全工程を一人で行っています。

また、刀鍛冶のように鍛金で、赤
く熱した貴金属の地金を金床の上で叩いて延ばし、溶接細工して手作業で宝飾品を作り上げます。鍛金で一
点物の加工も修理もこなす昔ながらの彫金師は、今では久留米市内にももうわずかしかいません。

金の話から、これからの時代に必要な考え方や哲学など、話題は尽きない。

彫金師 木村博の歴史

博さんは1947年(昭和22年)鹿児島生まれ。中学生三年生の時に、鹿児島から単身で久留米市の小頭町にある伯父さんの宝飾細工店に弟子入りしました。「材料づくり、細工や磨きまで全工程をひとりでやる。こんなすごい仕事があるのか」と思ったそうです。当時、高度成長期に入った日本には、宝飾品にも大量生産の波がきて、一点物の宝飾品は少なくなっていました。 技術は師匠の背中を見て学ぶ、古き良き時代。博さんは、彫金の仕事を学び、職人への道を歩みます。26歳で結婚、子どもにも金がかかる時期ということもあって、39歳で独立して店を持ちます。

「長年弟子として仕事する中で、
『頼むよ』といってくれるお客さんとのご縁があって、なんとか食べてこれました」「僕らはいくら貰える
かより、単にお客様に喜んでもらえるか、ただそれだけです」「まともな事をしてきてたって事でしょうね、潰れてないということは。はっはっはっ」。独特の笑いが響きます。
細工に欠かせない鋏や、やっとこが彫金師の歴史を語る。古道具みたいな道具たちもココでは現役。
 

宝飾品は正直。宝飾品は嘘をつかない

彫金師の仕事は、“こういうものを作ってほしい”とお客様から依頼されて作ります。注文一つ一つデザインが違い、すべてオリジナルです。お客様の要望を聞き取り、デザイン画を描いて、素材を決め、地金を鍛錬し期待通りに作り上げます。「“難しいので、できるかどうかわからない”と言われるデザインなどは、技術的にかなり高度な造作を必要としますが、今ではもう本当の細工職人しか作ることができないかもしれません。職人がいろいろいた頃には他でもできていたと思います。これも時代の流れですかね」。

職歴は、16歳から数えて54年以上。半世紀を優に超えました。長年やっていると以前つくった宝飾品と出会うこともしばしば。「自分の作った品物には独特の癖がある。数日かかって作るからね。だから全部覚えている」「宝飾品を見りゃわかる。宝飾品は正直。宝飾品は嘘をつかないからね〜」。

宝飾品の本当の価値とは?

宝飾品の本質的な価値は「永遠性」。お客様の一生に寄り添い、大事に使われ生き続け、後世にも受け継がれ残ります。つまり、数百年たっても形が残っていく。「残りつづける品物だから職人の責任も重いし、彫金師として品物には嘘はつけん」と笑います。


8×8センチの金床。これを舞台に、貴金属の鍛金が行われる。

徒弟制度と、次女の継承

三人の子どもの次女は、自分から父の彫金の仕事を継ぐと決めた。高校からデザインの勉強をして、女性の考え方や若い世代の好むデザインやシルバー製品も取り入れ、今は父と二人で切り盛りをする。彫金師の仕事は父の背中を見ながら覚えた、徒弟制度の伝統が生きている世界。

次女は、この場所で店を支えながら、朝倉でBOCKLEというシルバージュエリーも扱う貴金属鍛造細工さんを始めた。


彫金師のつくる、特別な指輪の話

博さんの鍛金でつくる指輪は細くても形が変形しづらく、強く曲がりにくいと好評。そして長年着ける人の事を考えた、スルスルとなめらかな着け心地。「鍛金でつくってるからでしょうね。鉄と叩いた鋼は強さが違うでしょ。あれと一緒。叩くと分子がしまって強くなる。着けやすさは肌に接する内側の部分をラウンドさせカドをとる。こんな事はあんまりしないのかもですが結婚指輪とかはずっと使っていく物ですからね」。鍛金で作った貴金属には、ずっしりとした独特の重みと表情がある。


休日の余暇を楽しむために働くという。独特の太い笑いは、謡い歴45年のたまもの?

想いのある物を大事にする人と、現代の職人の世界。

最近はいろんな溶接の仕事を頼まれるといいます。「この時代に、物を大事にするお客様の依頼が増えてきました」。もう部品が手に入れる
ことのできない時計の小さな部品や、メーカーにも修理を断られた難しい修理や、大切に使ってきた品物を蘇らせるパーツの制作とか、想いのある貴重な貴金属が持ち込まれます。「自分たちは小さい部品でもあきらめずに修理していく、今では稀少な溶接工かもしれんね」と話します。

宝飾品のキズもまた豊かな人生の思い出。

ヨーロッパでは、家族をつなぐ思い出の品物として宝飾品を受け継ぐ習慣があります。宝飾品や貴金属を譲るという背景に、大切に着けてい
た人の物語や温もりを受け継ぐことができる素晴らしさがあったから。宝飾品の本当の価値とは、持ち主の生きた証や品位や存在を色褪せることなく永遠の輝きとして伝えることができるから。

物を大事に扱う人は、人を大事にする。日本人の誇り。

「指輪には心が宿り、人生を語ります。だから、本物の宝飾品を大切に使っていってほしい」と語ります。古来日本には物を大切にする教育

がありました。丁寧に物を扱うことで、人を大事にすることにも繋がっていました。その豊かさのすぐ隣に、古き良き彫金師が作った時代を超える宝物があるのかもしれません。


●ジュエル・オリジナルクラフト・キムラ 木村
0942-37-1945
●〒839-0862 福岡県久留米市野中町927−2

物を大事にされる方や、物の本来の価値を知る方はいい出会いになるかもしれませんね。

〈撮影・取材 武藤久登/撮影・構成 木村真也 〉



筑後地域文化誌「Agene Dogena」。(あげなどげなとは、筑後弁で、あんなこともこんなこともの意味。)

編集長は「校閲者」武藤久登さん。「校閲者」とは言葉の番人といわれ、著者も気づかない原稿の誤りを正す出版界の匠の事。武藤さんは久留米出身で、現在は埼玉在中。毎月のように久留米に帰ってきて、今の筑後の様子を雑誌にまとめ、地方紙「あげなどげな」を発刊する。現在は約6年、12号目。ある意味、現在の久留米を「校閲」する雑誌をつくっている。

武藤久登さんに聞きました! 12号のみどころ。

2018年2月に発行された12号は特集として「久留米医学事始め」とした。「どうして久留米に医者が多いの」という子どものような疑問から発して、江戸時代にまでさかのぼっている。中世に九州にやってきたキリスト教、筑後一円にヨーロッパからやってきた洋学を取り入れてきた人々の熱さが感じられる歴史がおおもとにあり、明治維新の西洋に追いつき追い越せの国策のなかで多くの戦傷死が発生、その治療のために医者が集まり、また育成されてきた。
また『守教』で今村のかくれキリシタンのことを描いた帚木蓬生さんの講演大要も特集を補完する読み物。他にはシリーズ「匠の現場」で久留米の彫金師を取り上げている。客の希望に絶対の自信と技術で応える男の、今日本が忘れかけている「つくる心」を読み取ってほしい。

「Agene Dogena」は創刊6年。人間でいうと小学校に入る年。好奇心旺盛、すぐにしょげる、でもまた忘れて元気になる。65歳のおじさんが紡ぎだす筑後の雑誌はそんな人間臭さにあふれている。思い立ったら、自分の力も顧みずすぐに実行してみる。まだ足元もあぶなかしい雑誌だが、市井に生きる人々にフォーカスすることで、気づきを与えられたらという思いで作っている。ほかのメディアでは味わえぬ、筑後の文化的土壌をつまみ食いしてほしい。

武藤久登さんのプロフィール。

「Agene Dogena」編集長の武藤久登です。久留米生まれ、現在埼玉在住。仕事は書籍の校正・校閲。久留米に住む母を介護する二重生活です。筑後の可能性の大きさに日々感動してもう6年、いろんな人との出会いが雑誌を作ってきたと思います。雑誌に登場した人との別れもありました。遺すべき言葉を記録もできました。みなさんからの遺すべきもの、言葉もお寄せください。またこの町でお会いしましょう。

 
筑後地域のこれまでの歴史と宝物、今と、これからの地域の可能性を日本全国にお届けする雑誌。筑後地域文化誌「Agene Dogena」¥500-(税別)

久留米近郊で手に入る書店及び取り扱い所。
■取扱い書店
菊竹金文堂六ツ門店
ブックセンタークエスト (西鉄久留米Emax4階)
ブックスあんとく本部
■取扱い所
有馬記念館
洋菓子工房ラ・ペ
KUHON
久留米ゼミナール
草野陶房「現の証拠」


編集後記。レンズの向こう側から。編集長と父親と武藤さん。

 完全に余計な蛇足のあとがきである。笑い読み飛ばしてほしい。
 実は、今回、匠の現場で登場した木村博は私の父である。この原稿は、正直、筆が止まった。頭では言葉が浮かぶが、簡単に書けない編集できないのである。私の苦手とする自己紹介の文章よりも・・・だ。それだけ、私の中で父は尊敬の対象であり大きな存在だったと気づいたのだ。私は父が嫌いだった。正直な職人はちっとも稼げない。子どもの頃、すこし軽蔑さえしていた。しかしだ。今は父のような職人の生き方を尊敬し学び、ある意味、夢を追いながら、カメラを肩に担いで町を走っている。父はこの職人という尊い仕事で、私を大学まで行かせてくれ、兄妹3人、育ててくれたんだ。娘をもってこの大変さを思い知った。この公開の場で言うのは気恥ずかしいけれど、こんな機会をありがとうと伝えたい。今回、この取材を通じて。改めて親を知る、自分の中にいた父という人格を知る、本当にいいきっかけだった。また、息子として切に願う。職人としてこの世の物や人のために、父は現役であってほしい。

 「Agene Dogena」の武藤さんは、また面白い人で、非常にかわいらしい65歳だ。年の離れた友人をもつと人は幸せになれると何処かで読んだが、武藤さんと一緒に町を歩くと、世界は非常に豊かであること、世の中は可能性に溢れていることを教えてくれる。私は編集長として、筑後の文化発信する大先輩である武藤さんを応援させていただきたいと思った。武藤さんは非常に人のご縁を大切にされる方で、まるでわらしべ長者のように面白い情報や人と出合っている。ブラタモリならぬブラムトウ。この先も一緒に笑って歩いていきましょう。
 

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