2017.11.15
【リアル化女子】no.008 栗原咲子さん

profile
栗原咲子
1986年2月26日(31歳)
三井化学(株)購買部大牟田購買グループ
NPO法人くるめ日曜市の会 理事
25歳結婚→26歳出産
長女5歳、長男2歳
富山市立北部中学校→広島市立舟入高等学校→中央大学
・職歴
2008年4月~三井化学(株)大牟田工場総務部人事グループ
2012年5月~第一子育休
2014年4月~同職場復帰
2015年4月~第二子育休
2016年4月~購買部大牟田購買グループ復帰
2016年9月~NPO法人くるめ日曜市の会 理事
「いつも通り子供たちを自転車に乗せて筑後川を渡って家に帰ったけど、
夕日がとってもきれいだった。」
今回で8人目となるリアル化女子。
自分らしく
をモットーに、子育ても仕事も街の活動も
自分らしく行なう事で、彼女が誰かの心に希望を与えている。
真剣に、楽しく、美しく生きる咲子さんのリアル化を皆さまにお届けします!

現在、会社員として、NPO法人の理事として、そして妻として2人の母として。
地域と連携して毎日の暮らしをつくる咲子さん。
正社員として勤める傍ら、主婦としても母業を担う事は大変なもの。
しかし、
地域と連携することの大切さ
を知る咲子さんにとって
母になっても学ぶこと。そして地域と関わる事を自ら行なっていく強い想いがココにありました。

病を乗り越えて
8年前、入社一年でうつ病になった咲子さん。ドクターストップがかかり一か月休職。
会社での上司との対人関係と
結婚においての様々なトラブルが同時期に重なり問題が深まっていったことが原因。
今まで自分を否定される事がなく生きてきたように思います。
しかし、社会人になり、新しい出発を迎える時期に、今まで経験した事ない発言や示し方が私にとって苦しく、どん底に落ちてしまいました。
初めての経験。自己否定されたかのような現実が咲子さんを包み込んだ。
「うつ病」は、現代社会では多くの方々が悩み苦しんでいる病気であり、その深い現実に変化を重ねていくのも簡単な事ではありません。

恩返し
自己対話も、自己否定も、全て受け入れ
今の自分をどう成長させるかを考え続けた1ヶ月。
咲子さんを、また出発へと繋いだ想いは「恩返し」でした。
学生の時から、そして新入社員として就職してからも、
たくさんの方に色んな事を教えてもらい、
信じてもらってきたのに、
ここで仕事を辞めるのは申し訳ないと思いました。
ここで人生をあきらめるのは悔しいとも思ったんです。
諦めるんじゃなく、恩返ししたい!とそう思って、復帰を決意しました。
人は誰でも苦しみを抱き、様々な感情を調整しながら生きています。
その中で、苦しい経験から立ち上がるひとつの想いを見つけ出すこと。
その見つけ出した答えが
本物の人生を歩んでいく新しいスタートラインになるんだと教えていただきました。

転機
復帰後、結婚。これからパートナーもできて仕事を頑張ろうと思っていた矢先で、思いがけず妊娠。
産休、育休を取り、会社とはまた違う環境に身を置くことに。
出産して、友達はいても、夫の帰宅は遅く、孤立感を感じるようになりました。。
誰からも褒められない育児。
社会から離れ、誰からも必要とされていないと感じ始めた時に、
主婦しながら地域に貢献するたくましい先輩ママ(ママペラーズという歌うサークルで、定期的に地域の幼稚園や保育園に歌いに行く)の仲間にも入れてもらい、同じ境遇のママ達、様々な課題を抱きながらも元気いっぱい子育てをしているママ達に出会いました。
それと同時に、結婚出産で自分のキャリアをあきらめた同世代の女性がたくさんいることも知りました。
『社会でひとりひとりが果たせる役割がある。』
長女の出産で私の社会への見方、自分の大事にしたいことが見えるようになった。
これが私にとっての大きな転機であり決断だったようにも思います。

大切にしていること
個々を尊重しあうこと
それぞれが自分のやりたいことをやれる。
それらを、応援できる人でいたい。
子どもたちが、色んな世界に触れていける街に。
父母しかしらない世界で育つのはもったいない。
地域には父母とは違う世界、価値観を持った大人がたくさんいて、そういう人たちからも学んでほしい。
そんな、学び繋がっていけるような地域にしていきたい。

現在、久留米を代表する日常として
「くるめ日曜市」の理事としても活動されながら、
コミュニティオーガナイジングを学び久留米に大きな影響を与えいる咲子さん。
苦難を乗り越えて、たどり着いたこと場所。
自分の感じた悔しさを、次世代には残したくない。
母親だからこそ出来ること。
一人一人を尊重し合うこと。
自分に自信を持って暮らせる地域。
咲子さんの話は
自分の経験から導き出した
地域のあり方を
母として、会社員として、地域人として自らの足と頭を使って魅せていく人だと感じました。
肩書きに捉われず、『自分らしく』というシンプルな答えが、また誰かに輝きを与えていく凛とした咲子さん。その生き方。そのままが、太陽のように周りを照らし続ける女性でした。

写真・編集:國武ゆかり